国・県・地方自治体はフラットな関係

いま、日本は混乱している。

その理由に、「国の基準がひどい」「自治体が国・県の指示待ちで動かない」といった声もある。


ここには、構造的な問題点があるように思う。

誰かとんでもない悪人がいて、その人が諸悪の根源、というわけではなく、

頭の良い善人が、結果的にロクなことしかしなくなってしまう構造。


その構造の1つが、「上意下達」。

江戸時代じゃないか、と感じるようなシステムいまだにある。


で、そうじゃないフラットな構造を、スウェーデンに見た。

これが日本でも有効かどうかは別として、一例として考えてみたい。



この国では、驚いたことに、国・県・地方自治体、という3者の関係が<並列>。

つまり、どっちが上、下、がない。

これができるのは、役割分担を明確にしているからだという。


国は法律など大きな枠組みを決める。

県は、地方交通や医療を担う。

地方自治体は教育や、高齢者福祉を行う。


例えば、高齢者がデイケアを必要とした時、どういう条件や内容でサービスを提供するかは、自治体が責任を持つ。

だから、その条件・内容も、自治体ごとに違って良い。

地域によって、高齢者の状況も違えば、インフラも財政も違うので、この柔軟性は大切だ。

国は、細かい規制を設けてそれに従わなければダメ、というようなことはしない。

以前、民主主義について触れたように、ここでもその根幹である<権限>と<責任>の両方が与えられていることがわかる。



学校の中をのぞくと、さらに進んでいる。


例えばどの教科書を使うかは、担任の先生(!)が決める。

だから、隣のクラスと違う教科書を使っていることもある。

(ちなみにこの国では、学校でテストはしない。中間試験も、期末試験も、単語テストもない)


校長の役割は、先生たちを管理することではなく、サポートすること。

だから、校長と先生の関係も、役割が分かれていて、フラット。


また、先生は子どもが自分で考えたことに、耳を傾け、それを受け入れる。

一人一人の生徒にも、<権限>と<責任>が与えられている。


新しい学校を建てるときは、自治体の担当者、地域の親や先生、建築家たちが集まって<どういう学校を建てようか>について話し合うケースもある。



こうしてみると、国・県・地方自治体・公務員・生活者、この全てに上下がない。



これが民主主義の完成形、などとは思わない。(スウェーデンにも問題はたくさんある)

しかし、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動するという原則にとても近いとは思う。


主権は、自分の手にあるのが、民主主義なのだから。


(逆に、誰かが決めたことに嫌々従うなんて、専制主義と同じじゃない?)