持続可能って、いつまでナンダ?

地球温暖化の勉強をしていると、しょっちゅうでてくるのが「持続可能な」という言葉。英語だと「sustainable」です。あまりなじみのない単語ですよね。

さて。

温暖化を防ぐため、環境を守るために、「持続可能な」発展をしましょう、というのが、いたるところで「共通の願い」のように連呼されています。

温暖化の勉強をしていると、この言葉がでてこない本はないし、この言葉を聴かないセミナーもない、というほどです。

ところが。

「いつまで」持続すればよいのか、という話は、全く聴いたことがありません。

ゼロです。

細かい話に思えるかもしれませんが、実はとても大切なトコだと思います。

例えば、ある政治家は自分が引退する10年先を指して「持続可能」を考えているかもしれません。

またある人は、自分の子どもの代までの50〜100年先を思っているかもしれない。

ある企業は7代先まで考えていますが、それだと200年くらいでしょう。

熱心な活動家は、1000年以上先まで含めているかもしれません。



今の予想で、石油の残量があと30〜40年。石炭でも200年。

資源=地球は有限ですから、「いつまで」もたせるようにしたいのか、ということはものすごく大事だと思うのですが、どうでしょうか。



極端な話、「持続可能」「永続可能」といったとき、

じゃぁ1億年先まで考えるのか、と。

1億年単位で過去をさかのぼれば、今以上に劇的な気候変動が起こっています。でも、そんなの防ぎようがありません。

50億年先では?

もはや太陽が滅んでしまって、地球も道連れです。

つまりどんなに永遠を望んでも、50億年でストップなのです。

もしかしたら一部の人間が宇宙船でしばらく生き残るかもしれませんが。



さて、そんなわけで。

いつも曖昧にされてしまっている「期限不明の持続可能性」。

早く国際的に共通認識を明確に落とし込んで欲しいと思います。

ゴールをはっきりさせないと、手段も合意がとれないかもしれません。

そうなると後手後手になってしまうばかりです。


ちなみに、私の「持続可能」は100年先です。

自分の子どもが死ぬまで。そこまでは責任を持ちたい。

それより後の世代は、また子ども達の世代に任せます。