データじゃない。科学でもない。

核兵器原発によるヒバクの話をきいた人がよく口にするのが、


「リスクはわかったけど、科学的根拠が欲しいよね」
「データがないと説得力が弱いな」

というフレーズ。
僕も、言った。


でも、それは単なる言い訳。
いろんなことに共通するけど、
今まで自分が信じていた・思い込んでいたことが違っていた時、人はまず拒否する。そのあと、「あ、やっぱりそうかな」と思い始め、だんだんと受け入れ、最終的には賛同する。

このプロセスは、誰にでも必要で、ある程度時間がかかるし、何度も考えていく段階がある。


僕が、ヒバクの実態を受け入れて、ヒバクのない世界にしたい、という想いに賛同するまで、2年はかかった。
電磁波の問題にだって、ちっとも耳を貸さなかった。やっぱり2年くらいかかった。


データとか科学なんて、いったいどれだけわかっているのか?
そんなのは科学者だって怪しいものだ。
まして研究者でない一般人は、世の中のほとんどのことをデータも科学も知らなくても信じているじゃないか。
思い込みなんていくらでもある。知らないことがほとんどだ。


だから、何かを人に伝えたいなら、繰り返すしかない。
いくらデータや科学的根拠を示したって、大した効果はない。
何度も発信し続けて、その人が考えるきっかけを増やす。


最初は「そんなのウソだ」「おおげさな」と思っても、徐々に受け入れていける。時間も、手間もかかる。でも、それが必要なんだ。


Connectedで、今後どうやって発信するのか。
難しい専門的なデータを扱うのは、役目じゃない。
来てくれた人が、受け入れやすい形にする。
そこに力を注いだほうがいい。
そんな気がしている。